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天神町の紹介


天神社住所

静岡県浜松市中央区天神町13−1
地 図 場所はここをクリック

社務所電話

(053)463−8515

天神社氏神様

菅原道真公
天神町九団体 氏子総代・自治会・敬神婦人会・女性会・子供会

天友会・納税組合・天寿会・
天組


天神社全景 町内より市中心部を望む 天神社拝殿

天神町は、JR浜松駅から東へ約2km弱のところにある小さな町です。
町内を東西に国道152号線(
東海道)が走り、東海道に沿って家が軒をつらねています。

江戸時代、天神町は敷智郡向宿村の枝郷でしたが、明治22年、向宿村が馬込村、上中島村、佐藤一色村など数ヶ所村と一緒になって天神町村を発足させたとき、同村の大字となりました。

明治24年における
大字天神町の戸数は62戸、人口は369人と記録されています。

天神町の地名は往古からこの地に
菅原道真公を祭る天神社があったためです。
現在も天神社は天神町の氏神として奉られており、境内は樹林に覆われています。

天神町村はまず大正5年に大字馬込の1部が浜松市に編入され、大正10年に天神町村全域が市に編入されました。
これにともなって天神町は市の大字となり、大正14年の地籍整理の実施によって現在の天神町になりました。

町名の由来となっている
天神社(祭神菅原道真公)の創建年代は明確ではありませんが社伝によると室町時代の応永2年(1395年)の勧請とされています。

江戸時代に入って浜松城主
太田備中守資宗(すけむね)がこのやしろを崇敬し、承応4年(1655年)に社殿の造営を行ったことが記録されています。

また延享元年(1744年)には社殿に丹青(
)の彩色をほどこしたことも古文書にみえています。

参考(東海道宿村大概帳,東海道分間延絵図)
参考(浜松町名の由来、S63.7.21発刊、著:神谷昌志)



それでは、天神社境内に
入ってみましょう


鳥居をくぐると・・・


東側には「清水場」 ↓


階段を上ると・・


左右に牛の石造
 ↓


拝殿に向かうと・・


手前に獅子の石造 ↓


天神社拝殿 ↓


西側の御神木 ↓


東側には戦没者慰霊碑 ↓


その裏には保存樹木のくすの木



境内東側には社務所


社務所の裏庭園


その裏の防災倉庫


社務所から拝殿側を望む


南側の天神社屋台小屋


萩内庄吉翁ご寄付の「神楽梅」






昭和33年の新聞


御神木が倒れ、水屋が破壊しました。


その後、石屋を営んでいた萩内庄吉翁が、
集めた石材を使い水屋を無償修理し現在に至ります。




大雄寺=江戸初期の延宝4年(1676年)独湛禅師の
法弟石窓禅師によって開かれた黄檗宗の寺。

この寺の総門(漢門)は本山である京都宇治の万福寺の門を模してつくられた
きわめて特色ある
朱塗りの門で、市の文化財に指定されています。




境内北側にある古い物置小屋を壊しました
(2005.5.8)
小屋の奥からは、明治・大正時代から使われていたと
思われる漆塗り木製の茶碗、汁器、御膳などが出てき
ました。




 
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